高崎パスタ

“高崎パスタ”と、いつごろから言うようになったのか。まだこの町に住んでいたころ、1970年代の終わりには、そんなことばは、なかったように思う。

「マツコの知らない世界」(TBS系)が、先日その高崎パスタを特集した。近年、高崎は町ぐるみで、パスタを積極的に推していて、メディアにも屡々取り上げられるのを目にする。人口比でのイタリアン・レストランの数が、東京に次いで二番目に多いというのは、今回、初めて知った。

たしかに、群馬県は国内の主要な小麦の産地だ。全国に知られた、水沢うどんだけでなく、主食とまではいえないにしろ、ふだんからうどんをよく食べる。煮込んだ、おきりこみなんてものもある。マツコ氏も触れた、あの甘辛くて香ばしい、独特の食感の焼きまんじゅうもある。昔から、手に入りやすい、いわゆる粉ものが好まれていたのだろう。

1960年代までは、あたりまえのように、その日の夕餉のためのうどんを、それぞれの家で、一から練り、打っていたのではないか。コシを出すために、祖母がしっかりふきんにくるんだうどんを、足で、上から何度も何度も踏んでいる。横で小さな子どもが、そんな規則正しいリズムの音を聞きながら、段々と出来上がっていくのを見つめている。いまも、遠く記憶のかなたにある光景だ。

うどんがいつ頃から、パスタにとって代わったのだろう。番組では、高崎パスタの世代別の変遷図として、第一世代から、ニューウェイヴの第四世代までの店を紹介。創業50余年の、かの「シャンゴ」を、そのルーツとした。ここの、自家製の太麺のパスタにとんかつをのせ、甘めのミートソースをたっぷりとかけた看板メニューは、ボリュームとともに、映えのインパクト充分。まさに名物店といえる。テレビでは、現役の店を取り上げたい事情もあるだろうから、もちろん、ここを第一世代にして、異存はない。

放送日のツイッターでは、高崎パスタがトレンドの上位になっていて、なかなかの反響。次々に登場した、最近の洒落た、それぞれが特色を競う、注目の店とともに、少しでも町の活気に結びつくことを願わずにはいられない。

インターネットの反応をみていて気づいたことは、もうひとつ。もう「かもしか」のことは誰も覚えていないんだな、ということだった。駅から群馬音楽センターに向かう、大手前通りにあった、イタリアン・グリルの「かもしか」。ここが、高崎における最初のイタリア料理店なのではなかったか。奥に細長いロッジ風の内装、当時はまだ珍しかった、たくさんの種類のパスタのメニュー。1970年前後、ここに行くたびに食べたミートボールのパスタ、いやスパゲティが、いつも子供心に、なんて美味いんだろうと思っていたのだが。近くの病院に入院する前夜に、連れていってもらった日のことは、よく覚えている。

キャンセルを繰り返すスヴャトスラフ・リヒテルのピアノを、東京公演だけでなく、機会があれば、なるだけ聴いておこうと、追いかけていた1980年代の中ごろ。気難しいリヒテル氏は、なぜか数年おきに高崎で、三回もリサイタルを開いてくれた。オール・チャイコフスキーの年だったか、オール・ドビュッシーだかのプログラムで行われた演奏を聴きに高崎を訪れた、そのうちの一回。ホールに向かう途中、そうだ、と久しぶりに「かもしか」に入ったのを思い出す。その時はたしか大人っぽく、バジリコのスパゲティを食べた。

そして、今思えば、それが最後になったようだ。そのあと、気がついたときにはもう閉店していて、区画整理で跡かたもなくなっていた。「かもしか」、いつごろまであったのだろうか。

《リヒテルの高崎での公演》

  • 1984/2/24 群馬音楽センター
    • ドビュッシーの前奏曲集を中心にしたプログラム (5度目の日本公演)。
  • 1986/10/16 群馬音楽センター
    • シューマン、ブラームスの変奏曲、ほかのプログラム  (6度目の日本公演)。      ※ カナダのDoremiレーヴェルからこの日のライヴCDがリリースされている。
  • 1994/2/13 高崎市文化会館
    • オール・グリーグ・プログラム  抒情小曲集から22曲 (8度目、最後の日本公演)。

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