MISHIMAとオーケストラ

この11月25日は三島由紀夫の没後50年だという。

ドキュメント映画「三島由紀夫vs 東大共闘」の上映、ベジャールの三島へのオマージュ「M」の上演、そしてNHKでも特番が放送されるなど、改めて三島がクローズアップされた。

1925年の生まれだから、音楽家でいえば作曲家で指揮者のブーレーズやバリトン歌手のフィッシャー=ディースカウと同い年。彼らの音楽には、じかに接する機会をもてた世代からすると、三島も、早世しなければ、近年まで、同時代人として、作品だけでなく、さまざまな場面で、その発信が大きな影響を与える存在として居続けたのだろう。どこかの劇場で、いつもよく見かける顔でいたのかもしれない。“もし”を言っても詮無いことではあるが。

まえに、あるヴァイオリニストと話しているときに「むかし三島さんの指揮で演奏したことがある」 と聞いて驚いたことがあった。テレビ番組の企画で、なんと軍艦マーチを振った、そのときのオーケストラにいたのだという。これは当時もずいぶん話題になったらしいが、そのいかにもな選曲と、指揮ぶりは「まったくハナシにならない棒だったよ」と、笑い話になった。番組とは言え指揮を勧める方も勧める方だが受ける方も三島らしい。

音楽家でないのだから、そんなセンスは望むべくもないことだが、三島とオーケストラとのかかわりは、どうだったのだろう。

歌舞伎、新劇はもちろん、設立に加わった日生劇場を中心にオペラとも接点があって、広く舞台芸術に関わっていたのに、あらためて作品や年譜をみても、オーケストラに関する話題はほとんど出てこない。演奏会に行ってはいたのだろうが、小説はおろか芸術論の短い文にも記述は少ない。

村上春樹ほどではないにしろ、いくつかの著作に、演奏家や作品名が出てくることもあるが、芝居に触れたときに比べると、明らかに熱量が低い。

常にメディアの注目を浴びて、どんな公演でも、来場すれば主賓となりえて、主催側に箔もつくから、それなりに招待も受けていたはずなのに、不思議なくらい、内外のオーケストラの公演を聴いたという明らかな記録がないのだ。60年代のN響事件のときに「小澤征爾の音楽を聴く会」のメンバーに名を連ねたことくらい。オペラにしてみても、黛敏郎の音楽による、かの《金閣寺》が知られているが、自身による作品解説はおろかエッセイなどでも言及していることは少なかったように思う。

クラシックのオーケストラ音楽に関しては、どうやら最後まであまり関心が向かなかったのか。

三島が生涯にわたり称賛していたジャン・コクトーが、サティやフランス6人組、ストラヴィンスキーらと積極的に交流し、オーケストラ音楽と関わったことを思えば、興味は深まるばかりである。

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